今川義元

今川義元(いまがわ よしもと)。生年1519、没年1560。戦国時代の武将。父は今川氏親。子は今川氏真
太原雪斎に預けられた。兄の今川氏輝と彦五郎が死んだために家督を相続することになる。武田信虎の娘と結婚し同盟を結んだが、北条氏綱の怒りを買ったために攻め込まれ河東を奪われる。氏綱が死に北条氏康が家督を継いだ後に河東を取り戻した。
その後は領土を拡げていき、武田信玄と北条氏康との間で甲相駿三国同盟を結んだ。三河を押さえ尾張に攻め込むが桶狭間山(おけはざまやま)で織田信長軍に攻撃され討ち取られた(桶狭間の戦い)。死後は子の今川氏真が後を継いでいる。

<その他の情報>
今川義元の愛刀である左文字は桶狭間の戦いのときに織田軍に奪われたという。
海道一の弓取りといわれた。
今川家で用いられた今川仮名目録に追加をしている。
太原雪斎は桶狭間の戦いの前に死去しており、生きていればこの敗戦は避けられたと考える人もいる。

<関連ワード>
治部大輔
海道一の弓取り
今川仮名目録に追加
左文字(今川義元の愛刀)
桶狭間の戦い

<世に出ているゲームでの扱い>
シミュレーションゲームでは高めの能力を持つ武将。
アクションゲームでは化粧をして蹴鞠をしたりすることも。京の貴族をイメージさせるような人物として描かれることが多い。



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