三増峠の戦い(みませとうげのたたかい)。1569年に神奈川県愛甲郡愛川町の三増辺りで起こった戦い。武田信玄が北条氏康・北条氏政ら北条氏の小田原を攻撃した後に甲斐に退却する途中で起こった戦い。北条氏と同盟を結んでいた上杉謙信は加勢していない。
北条氏康の子の北条氏照らが甲斐に退却する武田軍を攻撃し浅利信種らを討ち取るが、戦いの結果として北条軍は大きな損害を被り武田軍が勝利したという。氏康は後で着いたが功はなかったという。
<その他の情報>
・武田軍が陣取っていたところに北条氏が攻めたという話とその逆で北条氏照らが三増峠に布陣して武田軍を後から来る北条氏政軍とで挟撃しようとしたという話がある。後者では最初は北条軍が有利だったが武田軍が次第に有利になり北条氏政らの軍が到着する前に武田軍が勝利と戦いの決着がついてしまったという話がある。
・両軍合わせて3~4万人が戦ったという話もあるが実際のところがわからない戦いである。
・仮に4万の軍勢が戦ったとするとかなり大規模な山岳戦である。
<関連ワード>
山岳戦
甲陽軍鑑
<ゲームにおける関連作品(ステージやイベント、シナリオなどがでるもの)例>
信長の野望・創造 戦国立志伝(発売元:コーエーテクモゲームス)
<私的見解>
この戦いの状況が不明である。武田軍が退却するところに北条軍が追撃しただけというところなのかもしれない。北条氏照らが待ちかまえていた説だった場合、待ちかまえていたにもかかわらず小田原からの北条氏康・北条氏政の援軍を待たずに戦っている。また、攻撃しなければならない明確な理由も不明。