三方ヶ原の戦い

(みかたがはらのたたかい)。1573年1月に静岡県浜松市辺りで起こった戦い。徳川家康の領土に侵攻した武田信玄に対し徳川家康と織田信長の援軍が戦った。
足利義昭の信長追討令に従った武田信玄は徳川家康の治める遠江(や三河方面)へ侵攻を開始。北条氏康との同盟もなったために本格的に軍を3つに分け遠江・三河・美濃へ侵攻。長篠城や二俣城や岩村城などを攻略。武田軍はなお侵攻を続ける。浜松城を防衛していた徳川家康と織田の援軍の佐久間信盛や平手汎秀らはその武田軍を見て城を出て攻撃に向かう。しかし武田信玄軍に打ち破られた。徳川軍の被害は武田軍を大きく上回り手痛い敗北となった。家康はこの戦いで部下たちに身代わりとなって守ってもらい浜松城に逃げ帰ったという。武田軍は家康を追撃するも空城の計を使った家康を前に浜松城を攻撃しなかった。

<両軍の兵士数>
武田軍3万人ほど
徳川軍8千人ほど
織田の援軍3千人ほど~甲陽軍鑑によると 約2万人 と実際の数に諸説・幅がある。

<その他の情報>
・籠城を考えていたと思われる徳川家康と織田の援軍は武田軍の行動を前に急襲しようと考えたという。そして出陣して攻撃しようとしたが武田軍はすでに魚鱗の陣を敷いて待ちかまえていたという。それに対して家康らは鶴翼の陣を敷いて戦ったという。
・また、武田信玄が西上という京都にのぼることを考えて軍を動かしていたという話もある(西上作戦)。
・浜松城に逃げ戻った家康は敗戦した自分の絵を描かせたという。
  
<関連ワード>
鶴翼の陣
魚鱗の陣
武田騎馬隊
空城の計
西上作戦
 
<ゲームにおける関連作品(ステージやイベント、シナリオなどがでるもの)例>
信長の野望 創造パワーアップキット(コーエーテクモゲームスが発売)
信長の野望 大志(コーエーテクモゲームスが発売)
戦国無双4(コーエーテクモゲームスが発売)
 
<私的見解>
いくつか疑問点がある戦いである。
・徳川・織田連合軍の浜松城からの出陣理由
織田の援軍が3千人だったとすると急襲とはいえ敵は三倍近いのでする意味がない。また2万人だった場合もまた戦う理由がない。戦った理由がそもそも不明な戦い。
・織田の援軍の兵士数
まず兵士数が織田の援軍が3千人とするとべつにこなくても大して影響しないわけで織田信長がそのような数を浜松城に送ったとは考えにくい。しかし2万人の援軍となると武田軍と匹敵する数となり積極的に攻撃してもおかしくはないが戦う理由が不明。
・陣形について。織田の援軍が3千人だった場合
武田信玄が魚鱗の陣をとる理由はない。武田軍3万人では徳川軍と織田の援軍三千人を合わせても1万1千人と武田軍とは3倍近い差があるためにわざわざ魚鱗の陣をとる理由はない。対する徳川・織田連合軍は鶴翼の陣をとっても構わないが急襲が失敗している時点で戦う理由がないために陣形をとる理由がなくまた武田軍が待っていてくれるか不明。
もっとも・・・戦った理由や合戦場がはっきりとわからないと陣形をとった理由もはっきりとはわからないだろう。



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