劉禅

劉禅(りゅうぜん)。(生年207、没年271)中国後漢末期~三国時代の人物。父は劉備。母は甘氏。子は劉璿、劉諶、劉恂ら。三国時代の蜀の第二代皇帝となる。

劉備が劉表のところにいるときに生まれる。劉表の死後に曹操は南下し荊州を攻める。そのときに曹操軍に劉備軍は攻撃されるが劉禅は趙雲によって危ういところを助けられる。
後に劉備が漢中王となると劉禅は王太子となる。そして皇帝となった劉備の呉討伐の際には成都にいたが、劉備が夷陵の戦いで呉の陸遜に敗れ退却。そしてややもして死亡しまう。益州で乱が起きるも平定する。
劉禅は劉備の後を継いで二代皇帝となり諸葛亮に政務を任せる。諸葛亮は北伐を繰り返すが234年に五丈原の戦いの際に病没。魏延の反乱が起きるが鎮圧され、劉禅は魏延の三族を処刑した。
蒋琬、董允、費禕に支えられて国政をするが宦官の黄皓を用いだす。費禕が魏から降伏した郭循によって殺害されると、配下の姜維は大規模な北伐を行う。黄皓と姜維の仲は悪かった。
魏が263年に蜀侵攻を開始する。姜維は防衛するが陰平から攻めた魏の鄧艾軍によって諸葛亮の子の諸葛瞻が討ち取られてしまう。それを聞いた劉禅は譙周の言を聞きいれて降伏する。このときに五男の劉諶がこれに反対したが劉禅は聞き入れなかった。その後は魏によって洛陽に送られる。安楽公に封じられて後に271年に死去した。

配下は蒋琬、董允、費禕、姜維、譙周、郤正ら。

<三国志演義では>
劉備が荊州にいるときに生まれて阿斗(あと)と名付けられる。荊州で劉備が曹操軍に攻められて敗走しているときに劉禅は行方不明になってしまう。しかし趙雲によって助けられ、趙雲は曹操軍の中を駆け抜けて味方と合流し劉備のもとに戻ったという。
魏に降伏してから司馬昭に宴会に招かれて「蜀を思い出されますか?」と問われるも「いいえ、ここは楽しく蜀のことを思い出しません」と答えた。劉禅配下の郤正がこれを諫めて答え方を教えるのを見て司馬昭は再度劉禅に同じ質問をした。劉禅は郤正に言われたままを答える。これを聞いた司馬昭は「郤正の言った通りですね」と言ったのに対し、劉禅は「そのとおりです」と答え皆は大笑いしたという。

<関連ワード>
三国志の三国(蜀漢
三国志演義
三国志平話

<世に出ているゲームなどの作品での扱い>
能力値は非常に低く設定されていることも多い。



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