司馬懿

司馬懿(しばい)。字は仲達(ちゅうたつ)。中国後漢末期から三国時代の人物。諡号は宣帝。子には司馬師、司馬昭がいる。
曹操の出仕要請を断っていたが、「(司馬懿を)捕えてでも連れて来い」という命令が出たため出仕した。曹操の下で献策曹丕と親しくしていた。曹丕がの皇帝になるとさらに昇進、寵愛される。曹丕の死後その子の曹叡が皇帝となる。司馬懿は曹真、陳羣らとともに曹叡の補佐を託されていた。曹叡即位後まもなく孟達が蜀漢諸葛亮と内応し魏に謀反するがすばやく打ち破る。蜀漢の北伐に対して曹真死後は諸葛亮といくども対峙する。5度目の北伐のときには諸葛亮と五丈原にて対陣、諸葛亮は陣中で没した(五丈原の戦い)。曹叡の死後その子の曹芳が皇帝となる。司馬懿は曹爽とともに曹芳の補佐を託されていた。曹爽との権力闘争が始まるが勝利、魏の大権を掌中にする。後に死去した。孫の司馬炎が晋の武帝となる。

<三国志演義では>
諸葛亮の好敵手のような存在として描かれている。曹操の命令で配下に加わる。曹操存命時から曹丕に信任される。曹操死後は曹丕に従い地位も上がっていく。曹丕の死の前に曹叡の補佐を託される。曹叡が皇帝につくと司馬懿は魏の防衛のために行動するが疑念を持たれ一時失脚してしまう。諸葛亮はそれを知り魏を討伐する北伐を開始。諸葛亮率いる蜀軍の連戦連勝を前に曹叡は司馬懿の起用を考える。司馬懿は蜀に寝返ろうとした孟達の反乱を察知して孟達を討ち取る。曹叡に信任され蜀軍に対して当たることになる。司馬懿は街亭の戦いで蜀軍の馬謖を打ち破り全軍撤退に追い込んだ。諸葛亮のいる小城を攻めるが空城の計により退却する。その後も蜀軍に曹真らとともに戦い防衛する。曹真の死後は対蜀軍の司令官として戦う。何度かの北伐を防衛しきり諸葛亮はついに五丈原の戦いで病没する。司馬懿は諸葛亮の死を知って撤退する蜀軍を追撃するが諸葛亮の策にはまり退却した(死せる孔明、生ける仲達を走らす)。

<関連ワード>
三国志の三国(蜀漢
三国志演義
五丈原の戦い
天下の奇才なり(司馬懿が諸葛亮を評した発言)
死せる孔明、生ける仲達を走らす(仲達は司馬懿の字)
孔明の罠

<世に出ているゲームなどの作品での扱い>
非常に知力の高い老獪な大将として扱われることが多いか。諸葛亮との対決も多いようだ。



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