平手政秀

平手政秀(ひらて まさひで)。生年1492年、没年1553年。戦国時代の人物。
織田信長の父である織田信秀、後に織田信長に仕えた。
織田家中でも朝廷に名の知られた人物だったという。公家の山科言継からも山科言継の尾張宿泊時に賞賛を受けている。織田信秀の時代では信秀の名代として朝廷に修理料を献上することもしていたという。織田信長が生まれると傅役となった。家老としても活躍。美濃の斎藤家と和睦、斎藤道三の娘濃姫と織田信長との婚約もまとめた。織田信秀が死んだ後に織田家中が乱れ始め自刃した。信長は政秀寺という寺を建てて政秀の菩提を弔ったという。子は久秀。文化人であったという。

<その他の情報>
自刃の理由は定かではない。政秀(や子)と信長の間の不和が原因とも。織田信長の行状を諫めるためともいわれる。信長とその弟の織田信行一派との家督争いが原因ともいわれる。

<関連ワード>
平手町
政秀寺

<世に出ているゲームなどの作品での扱い>
最後について織田信長の行状を諫めるために自刃したという扱いが多いか。ゲームでは政治力がやや高めに設定されることが多いようだ。



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