徳川義直(とくがわ よしなお)。生年1601、没年1650。江戸時代初期の人物。幼名は五郎太丸。父は徳川家康。子には徳川光友らがいる。
徳川家康の九男として生まれる。甲斐国を与えられたが幼かったためか家康のいた駿府で過ごす。兄の松平忠吉が死去し後に尾張国清洲藩を継ぎ清須城の城主となる。そして家康により天下普請で尾張国に名古屋城が築かれている。大坂冬の陣(1614年)で初陣。大坂夏の陣でも戦う。家康は柳生宗厳の孫の柳生利厳を義直の兵法師範にしている。尾張藩の新田開発を行うなどしている。死後は子の光友が後を継いだ。
<その他の情報>
1610年に命を出して瀬戸窯業の始まりを作ったともいわれるがこの時期は義直は10歳ほどであり家康の意向によるものであろう。
学問好きでもあったようで孔子堂の建立もしている。