徳川頼宣

徳川頼房(とくがわ よりのぶ)。生年1602、没年1671。江戸時代初期の人物。幼名は長福丸。父は徳川家康。子には徳川光貞らがいる。孫は八代将軍徳川吉宗。
徳川家康の十男として生まれる。兄の武田信吉が若くして死去したために水戸藩を与えられた。その後は駿府藩に転封になる。大坂冬の陣で初陣。大坂夏の陣でも戦う。家康の死後しばらくして和歌山に転封となった(紀州和歌山藩)。由井正雪の慶安の変の際に謀反の嫌疑をかけられた。その後嫌疑は晴れた。70歳で死去し子の光貞が後を継いだ。

<その他の情報>
紀州和歌山藩は徳川御三家の一つ。加藤清正の娘の八十姫と結婚している。由井正雪の乱のときの嫌疑で10年間紀州に帰国できなかったという。

<関連ワード>
徳川御三家



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