(そうひ)。字は子桓。中国後漢末期から三国時代の人物。魏の皇帝(文帝)となった。父は曹操。子は曹叡ら。弟は曹植、曹彰ら。配下には曹仁、曹休、曹真、司馬懿、陳羣、呉質、徐晃、張遼、張郃(チョウコウ)、許褚(キョチョ)らがいる。
220年の曹操死後に魏王に即位、後に禅譲され魏の皇帝となった(これに対し蜀漢の劉備も皇帝を称している)。陳羣の進言から九品官人法を採用している。呉の孫権とは何度も戦っている。226年に死去。後事を曹真、司馬懿、陳羣らに託した。子の曹叡が後を継いで皇帝となった。文人としても優れていたとされる。
<三国志演義では>
曹操が冀州を攻略した際に袁煕の妻であった甄氏を妻とした。曹操の後継者候補として弟の主に曹植と争う。曹丕は司馬懿を迎えている。最終的に曹操は曹丕を後継者とした。曹操死後、曹丕は魏王に即位。そして献帝より皇帝の座を得て魏の初代皇帝(文帝)となる。
呉の孫権に義弟の関羽を殺害され怒る劉備とは争はず、その泥沼の戦いの中で呉攻略を考えて大軍をもって侵攻。呉は陸遜によって劉備を撃退し、魏に対しては徐盛を出す。それにより魏は大敗してしまう。この戦いによって張遼は傷を負い死亡したという。
<関連ワード>
三国志の三国(魏、呉、蜀漢)
三国志演義
三曹
<世に出ているゲームなどの作品での扱い>
若い冷徹な皇帝または武将として書かれることが多いか