本多正純(ほんだ まさずみ)。生年1566、没年1637。安土桃山時代~江戸時代前期の武将。徳川家康の家臣。江戸幕府の年寄(老中)にもなった。
父である本多正信は三河一向一揆に参加しその後に家康から離れていたが、後に家康に許されて帰参となる。正純もそのときに共に家康に仕えた。関ヶ原の戦いでは家康の軍に従っていた。江戸幕府の開設後は徳川家康・徳川秀忠のもとで幕政に参加した。家康の死後に加増となり宇都宮城の改修を行っている。秀忠の時代には年寄(老中)になったが後に嫌疑をかけられ失脚した。
<その他の情報>
改易について・・・宇都宮城釣天井事件で秀忠を暗殺しようとしたなどの話もあるようだが実際には釣り天井はなく、政策上もしくは政治上の秀忠との対立が原因という話もある。
<関連ワード>
宇都宮城釣天井事件(本多正純の失脚の原因という話もあるが宇都宮城には釣り天井は存在しなかったという。失脚となったきっかけは別のことが原因か。)