松平信康

松平信康(まつだいら のぶやす)。生年1559、没年1579。戦国時代~安土桃山時代の人物。徳川家康の長男。
父は徳川家康。母は築山殿(瀬名姫)。
徳川家康が松平元康を名乗っていた時に今川義元の治める駿府で生まれ人質となる。桶狭間の戦いで今川義元が死んだあとに家康が独立し人質交換で岡崎城に移る。家康と織田信長の間で清洲同盟が結ばれ信長の娘の徳姫と結婚。数年後に元服し信康を名乗る。その後は武田家との争いが起き横須賀の戦いなどで活躍する。1579年に家康に切腹させられた。信康の首は織田信長に送られ、その後戻されて若宮八幡宮で埋葬されている。死後、信康を弔う複数の寺などが建立されている。

<その他の情報>
信康の切腹についてはその原因が不明。信康の不行状と夫婦の不仲に加え築山殿の武田家との内通説、徳川家の内部での争いという説、家康との仲が不仲だったという説などいろいろな説がある。
介錯には村正(刀)が用いられたとされる。
榊原康政に諫言され弓で射ようとしたこともあったというが、榊原康政の雰囲気に押されたためか諫言に従ったという話もある。

<関連ワード>
築山殿
村正(刀工・刀剣)

<関連映像作品>
徳川家康 (NHK大河ドラマ)



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