清須会議

(きよすかいぎ)。織田信長明智光秀に襲われて死亡した本能寺の変、そしてその後の山崎の戦いが終わったのちに開かれた会議。織田家の重臣である柴田勝家は信長の三男の織田信孝を推し、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は信長の孫である三法師(後の織田秀信)を推した。会議の結果、織田家の家督は三法師が継ぐことになった。信長の遺領配分においても秀吉が山城などを得てそれまで上だった勝家との立場が逆転したと言えるかもしれない。



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