真田信之

真田信之(さなだ のぶゆき)。生年1566、没年1658。真田信幸から信之に改名。戦国時代~江戸前期の武将。元は真田「信幸」であったが、後に「信之」に改名している。父は真田昌幸。弟は真田信繁(幸村)。妻は小松姫(稲姫)ら。子は信吉、信政ら。

武田家の人質として過ごし後に元服。その武田家は1582年に織田信長軍らに攻められて滅亡、武田勝頼は死亡した(武田征伐)。
武田滅亡後は父昌幸と行動するが、1582年に本能寺の変が起き織田信長が死亡、甲斐・信濃でも天正壬午の乱が起きる。織田家の脅威が去った後も真田家は北条氏、上杉氏、徳川氏といった強大な勢力に挟まれた状態になる。そして徳川と敵対した真田は上田城の戦いで徳川軍を破った(第一次上田合戦)。関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の養女である小松姫を妻としていたこともあり信之は東軍につき、父昌幸と弟信繁は石田三成方である西軍についた。関ヶ原は東軍の勝利に終わり信之は父と弟の助命を求めたとされる。
大坂の陣では病だったために子が参陣している。信之は松代藩主となり後に死去した。93歳だった。

<その他の情報>
・妻の小松姫(稲姫)は徳川家康の家臣である本多忠勝の娘である。真田信幸に嫁ぐにあたり徳川家康は小松姫を自身の養女として後に嫁がせた。
・93歳に没した。当時としては非常に長命な人物である。長男の信吉や次男の信政よりも長生きしたという。
・関ヶ原の戦いの後に真田「信幸」から真田「信之」に改名している。
・大河ドラマの「真田丸」に登場して以降、知る人も増えたようである。

<関連ワード>
真田丸
上田城
大河ドラマの「真田丸」に登場(主役は真田信繁(幸村)である)。

<世に出ているゲームなどの作品での扱い>
父(昌幸)と弟(幸村)が有名すぎるためにぱっとしない扱いがやや多いか。大河ドラマ真田丸では苦労した姿も描かれるなど、能力(や人物性)が見直されているようだ。
特に関ケ原の戦いの直前からそれ以降において敵味方となった真田家と徳川家の関係に苦慮、その後の領国運営に尽力したことが評価されてか人間性を評価する者もいるようだ。



“真田信之” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です