織田信雄

織田信雄(おだ のぶかつ)生年1558、没年1630。安土桃山時代~江戸時代前期の武将。父は織田信長。兄は織田信忠。弟には信孝らがいる。
信長による北畠攻めの和睦条件として北畠家に入り後に家督を相続する。1582年の明智光秀謀反による本能寺の変で信長は本能寺で死亡。織田家の家督を継いでいた兄信忠も二条御所にて死亡した。山崎の戦いには参戦出来ず、後に信雄は安土城に入るが失火により焼失させたとされる。清洲会議では織田家の後継者になれなかった。小牧・長久手の戦い徳川家康と組み羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と争うが結局は講和した。豊臣政権下で小田原征伐に参陣したりしたが後に秀吉の怒りを買い改易となった。後に徳川家に従った。

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