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荀彧

(じゅんいく)。字は文若(ぶんじゃく)。中国後漢末期から三国時代の人物。
袁紹に礼を持って迎えられたが仕えず曹操に仕える。曹操は「わが子房である」と喜んだという。その後は曹操を補佐し尽力。郭嘉の推挙や皇帝である献帝を迎えることも進言している。曹操が袁紹と戦った一大決戦である官渡の戦いでも助言、曹操にいくども優れた献策をし曹操の勢力拡大にとっての功績は大きかった。しかし、後になるにつれて曹操の方針(魏公になろうとする)とは違いが出てくる。その溝は埋まることなく死亡した。死因は病死ともいわれるが不明。

<その他の情報>
曹操との方針の違ってきたことについて、荀彧の目的は漢王朝の復興だったようで、曹操が漢をしのぐ強大な権力者になることは望んでいなかったようである。赤壁の戦い後、曹操は魏公になることを考えていたようで、それを望まなかった荀彧は反対した。

<三国志演義での扱い>
袁紹に誘われるも、曹操が人材を集めていると知り曹操の下にいく。曹操は荀彧の優れた才能を頼る。曹操が徐州に侵攻していたときに陳宮と呂布らによって曹操の領地が攻撃されてしまうが、荀彧の活躍によりすべて失うことはなかった。官渡の戦いでも曹操をはげますなど曹操の軍事・政治両面で非常に優秀な補佐官・参謀であり、。曹操にとって非常に重要な人物であった。
しかし、赤壁の戦い後に曹操と漢帝国の扱い(例、曹操が魏公になること)についての方針が異なっているのが顕在化してくる。最終的に、曹操は荀彧にからの箱を送り荀彧は自殺した。後に曹操は魏王になった。

<関連ワード>
三国志の三国(蜀漢
三国志演義
王佐の才(荀彧に対する評価)
わが子房である(子房は張良の字)

<世に出ているゲームなどの作品での扱い>
曹操を補佐する非常に能力の高い人物(助言内容は軍事・政治を問わない)のような扱いが多いか。

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