長宗我部元親

長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)。生年1539年、没年1599年。戦国時代~安土桃山時代の戦国武将・大名。父は長宗我部国親。子は長宗我部盛親ら。
数々の戦いを経て土佐を統一。織田信長と同盟を結び三好氏などとの戦いを経て四国における勢力を拡大するが後に対立。元親を攻撃するために信長の三男神戸信孝の四国方面軍ができ窮地を迎えそうになるが本能寺の変で信長や織田信忠は死に事態が急変する。信長の死後、四国における勢力をさらに拡大するが明智光秀山崎の戦いで破った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と対立、大軍に攻められる。戦うが後に降伏した。子供では四男の長宗我部盛親を後継ぎとしていたようである。1599年に死亡した。

<その他の情報>
姫若子(ひめわこ)と呼ばれていた。(子供の頃本を読んでいることが多かったそうである。)
20代前半頃の比較的遅く初陣する。
土佐を平定するまで15年ほどかかっている(土佐の国は細かく分かれていたようである。)。
美濃の斎藤氏から正室を迎えている。明智光秀の家老の斎藤利三と親戚関係にある。
若くして勢力を大きくし土佐の出来人と呼ばれた。
一領具足という半農半兵(半兵というより野武士、地侍の方が適切か?)を使っていた(考案は父の長宗我部国親らしい)。

<関連ワード>
姫若子
土佐の出来人
一領具足



“長宗我部元親” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です