長宗我部盛親(ちょうそかべ もりちか)。生年1575、没年1615。安土桃山時代~江戸時代前期の人物。父は長宗我部元親、母は斎藤利三の妹である。子は長宗我部盛恒ら。
土佐を治めていた長宗我部元親の四男。豊臣秀吉に従い北条攻めなどに参加している。元親の死後に後を継ぐが翌年関ヶ原の戦いが起きる。この戦いで盛親は西軍に属し関ケ原付近の南宮山辺りに布陣する。しかし、決戦に関わることなく戦いは東軍の勝利に終わり、その後に土佐に帰った(追撃はされたようである)。戦後に改易となった。
しばらく後に豊臣家(豊臣秀頼)と徳川家(徳川家康)が争うことになり盛親は大坂城に入城した。大坂冬の陣そして大坂夏の陣にも参加している。大坂夏の陣では徳川方の藤堂軍を苦戦させるが結局は城に退却、後日捕らえられて京都の六条河原で斬られた。
<その他の情報>
母は明智光秀の配下の斎藤利三の妹である。
<関連ワード>
浦戸一揆