本能寺の変

(ほんのうじのへん)。1582年に京都の本能寺に宿泊していた織田信長が家臣の明智光秀謀反により襲われた事件。この事件で光秀の大軍に襲われた信長は本能寺に火を放ち自害した。信長の長男の信忠も二条御所で光秀軍に襲われ自刃した。それにより光秀は天下人となった。
しかし、この本能寺の変を知りすぐに戻ってきた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と決戦となる山崎の戦いが起きて光秀は敗北。逃走中に襲われ重傷を負い自害することになる。

<当時の本能寺の場所>
本能寺跡
〒602-0947
京都府京都市上京区小川通蛸薬師元本能寺町。

<明智光秀が謀反した理由については諸説ある>
本人の意思によるという説もあれば黒幕がいたという説もある。

黒幕説による黒幕の候補
・朝廷
足利義昭
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)
徳川家康
など
 
<関連ワード>
信長公記
明智軍記
川角太閤記



“本能寺の変” への3件の返信

    1. こんなに上手くいくものだろうかとも言えるし。
      京都からの高速伝達手段を用意しておいたのかもしれない。

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